ブログ

「保育園なんとか入れたよー。」
「申し込める認可保育園は全部書いたのに、ダメだったから今年も認証保育所だよ」「今年もダメだった。実家に任せっきりで申し訳ない」

この時期になると、保育園の入園結果を聞いた育休中の友人や、乳幼児の保活ママたちの声がちらほら。保育園の入園はポイント制度で、両親の勤務時間や保育を必要とする理由などによって基準指数がつけられます。そのほかにひとり親世帯だったり病気や通学であったりという親の状況や、認証保育所などに預けているという子どもの状況などのポイントが加点、減点されてトータルポイントの高い順に選考されるのです。

今やフルタイムで働く私の友人ですら入園できない状況で、すんなり育休復帰できることも当たり前ではなくなってきたのでしょうか。保育園の増設だけでなく、保育士不足や待遇の改善、日本の労働環境(長時間労働)改善などなど、一筋縄ではいかないこの都市部での待機児童問題は、実は過去に私も実際に直面したことでもあるのです。
ちなみに私は、正社員・アルバイト・業務委託・フリーランスと、さまざまな就労形態を経てきたのですが、思えば待機児童問題に直面したことも自身の働き方を考えるきっかけのひとつだったなぁと感じたので、ここらで一度、これまでライフステージの変化に伴い私自身が選択してきた働き方についてふりかえってみたいと思います。

がむしゃらに働いた独身時代

かれこれ10数年前になりますが、大学卒業後、私は大阪のとある企業で正社員として働いていました。最初は事務職で入社したのですが、フリーペーパーを発行するという新規のプロジェクトのために各地に取材に行き、編集することになり、まとめた記事を形にするために企画部へ出入りすることに。ポンっとMacを用意されてもAdobeソフトの使い方すら全くわからない私は、「文字にアウトラインをかけるって何?」みたいなレベルからのスタートでした。でも周りには大きなPC画面を前に素敵なデザインをするプロたちがいっぱいです。やり方がわからなければ聞くしかない、とデザイナーやプランナーたちに近づき、画面を覗いては「これってどうやって作るんですか」。「今の処理、どうやったんですか」とウザいくらいに質問し、見よう見まねで何とか使いこなせるようになりました。感覚だけでこっちの方がいいなと思っていたことも、プロからするとレイアウトひとつとってもちゃんと意味があって、視点の違いに「へー」「すごい!」と発見な毎日です。年に数回発行するため、一旦プロジェクトが終了すると元の部署へ戻り事務をこなすのですが、ルーチンワークな日々に戻ったことでちょっとワクワク感のない業務に物足りなさを感じ始め、また時期が来て企画部へ行けることが楽しみになっていました。

2度目のプロジェクトが終わる頃、企画部の上司が引っ張ってくれて、企画部に異動することになりました。確か朝は10時出勤で定時は19時だったかな。でも帰りは平均22時頃。徹夜作業になることもざらで、いわゆる長時間労働。イベントのために週末や祝日勤務もあったり、泊まりの出張や取材も頻繁でした。それでも毎日に刺激があって楽しくて、当時は若さと勢いもあり、面白い仲間たちと励ましあいながら仕事に打ち込んでいました。
また、トップダウン経営の会社で、私が携わっていた業務も社長と直接なんてことも結構ありました。ここで相当鍛えられたと思っています。仕事で悔しくて泣いたのも初めてでしたが、なんでも挑戦させていただき、がんばった分評価していただけたことで、ちょっとやそっとではへこたれない精神と自信をつけてくれた場所でもありました。

ちなみにここで一緒に頑張っていた人たちの多くは、現在起業して経営者として活躍しています。

出産前にいったん離職

そんな私も縁あって結婚をし、子どもを授かるのですが、妊娠中もしばらくは働いていました。お腹が膨らみ始めてようやく、子どもを産むということは仕事を離れることなんだと実感し始めます。会社の先輩に産後も働き続けている方がいれば相談でもしたのでしょうが、男性が多くて女性はいたものの母として働く先輩はいませんでした。当時の私は、出産、子育てしながらの生活は未知で、ましてやその環境下で自分が働き続けるという具体的なイメージはできておらず、社内に産後も継続して働き続けている女性というロールモデルがいなかったことで、自分の「今の働き方」では仕事が続けられないと判断。楽しくてやりがいのある仕事でしたが、離職を決意します。
「今までと同じ働き方ができない」=「仕事を辞めるしかない」と思い込んでいました。

初めての主婦生活

退職から数ヶ月後に無事出産、そしてしばらくは主婦です。とはいえ夫は早朝から深夜までの仕事でほぼ不在。実家も遠いため他に頼る人もいない環境下で、手探りの家事育児生活です。そんななかでも子どもをきっかけに近所の友人ができ、その頃流行っていたSNSでの情報交換やいろんな交流を通じて輪が広がっていきました。飲みに行くなど夜に外出することはめっきりなくなりましたが、料理を覚えたり産後のダイエットにとビリーズブートキャンプ(懐かしい!)のDVDをみて動いたりと楽しみながら過ごしていた時期です。母になって初めて、ベビーカーで移動するのに街には意外と段差が多いことや、子連れの公共機関での移動は大イベントであることに気づきました。

保育園に預けて再就職

子どもとの暮らしのペースをつかんできた頃、元職場の方から「ちょっと制作を手伝って欲しい」と、限られた時間だけで在宅の仕事を始めます。収入でいうと本当にお小遣い程度でしたが、家庭やプライベート以外の場所で社会とつながることはちょっとした気分転換にもなり楽しくもありました。さらにその後、その職場の方達と一緒にお花見をした時に、ふと「会社で時短勤務できるように働きやすい環境を整えるから戻ってこない?」と、ありがたいお声がけがあり、私に「子どもを保育園に預けて働く」という選択肢が生まれます。その時は近所ですぐに対応していただける近所の無認可保育園に預けることができました。英語を使ったリトミックをしたり近くの小学校の学童保育の受け入れ先になっていたり、先生たちもパワフルで優しく、今でも一番最初にお世話になった保育園がここで良かったと思えるほどでした。半年ほど通い、翌年の春からは公立の保育園に入園できたので転園。こちらの園でも送迎時にはママ友のように気さくに話してくれる先生に出会え、親子共々本当に楽しく過ごせました。
出社時間がゆっくりでの時短勤務で車通勤OKだったので、天候に一喜一憂することもなく子どもを送迎できた点でも恵まれていました。かつてのように週末の頻繁な出張はなく、販促ツールの作成など制作業務を中心にし、社内の営業担当者とやりとりすることが多かったためにさほど負担を感じることなく、家庭とのバランスをとりながら仕事ができていた時期でした。そんなニッコリな日々を過ごしていたら、なんとお腹に再び新しい命を授かります。 <②へ続く>